ようこそ、西多摩武蔵野会へ

〜当会のあゆみを振りかえって〜

 事務局
1.すべては、会長の一言ではじまった
 平成5年の夏。
会長が「久しぶりに模型運転会をしませんか?」
そんな誘いの1本の電話から物語りは、はじまりました。
迷うことなく了解し、会長が会場まで手配をした。
その会場こそ、今は亡き羽村市勤労福祉会館だった。
そして、この年の10月に当会として初めての鉄道模型運転会を開催した。
2.武蔵野会創世期
 はっきり言ってこの頃を記録するデーターは何も残っていません。
 羽村市の「勤労福祉会館」。それもの小さい方の会議室をお借りして運転会を始めたのが当会のはじまりと記憶しています。
 そこで副会長と事務局長が初めて出逢い、この3人でのスタートです。
 当時は開催も1日のみ。公開なんてとてもしていませんでした。
 小さな会議室に小さなエンドレスを2つ組み立てて、現在のような町並みも何もなく、お座敷運転の延長線でした。
 そんな小さな模型運転会でしたが、3人の中では好評で直ぐに次回を…と期待が高まっていました。 
 平成5年10月のこの初回から定期的ではないものの、しばらくの間、そう3回位でしたか?この勤労福祉会館で開催しました。
 この時の事を振り返って見ますと、会場は夜10時までだったのですが、撤収作業も今と違って段取りが悪く、夜10を迎えて電気を消されてしまった事も。
 また、運転会の途中に突然の雷雨で停電してしまった事もありました。


3.会場を変更
 そして会を重ねるうちに欲が出たのか?その後5年程経過して、もっと広い会場でという事となり、白羽の矢を立てたのが現在お借りしている青梅市福祉センター「スイーラムに」でした。
 当時は、ここをお借りするのも大変でした。
福祉センターは、様々な会合に会議室を提供していますが、鉄道模型の運転会なんて初めて。
どんな事をするのか?内容はわからず素性の知れない連中でしたから。 
会場の使用も申し込みをするのも大変で、交渉をするも難航しました。
騒音がするか、机等の備品は傷まないのか・・・等々そんな疑問が沸いて来るのも仕方ありません。
 会長の細やかな説明で、ようやく場所をお借りする事が出来ました。
当初は現在と違って欲をかいても会議室2部屋。
 羽村勤労福祉会館時代よりだんぜん広いスペースになりました。
 本当は2部屋目は隣の部屋に音がしない様にバッファとするためにお借りしたスペースでした。
当日はその部屋が物置代わりに・・・
いざ初めて見ると、こちらの様子が気になるのかセンターの職員の方が代わる代わる見に来て頂き、ようやく認知頂けました。
未だこの当時は年1回の開催、やっと会らしくなって来た頃でした。
 当時は、ここをお借りするのも大変でした。
福祉センターは、様々な会合に会議室を提供していますが、鉄道模型の運転会なんて初めて。
どんな事をするのか?内容はわからず素性の知れない連中でしたから。 
会場の使用も申し込みをするのも大変で、交渉をするも難航しました。
騒音がするか、机等の備品は傷まないのか・・・等々そんな疑問が沸いて来るのも仕方ありません。
 会長の細やかな説明で、ようやく場所をお借りする事が出来ました。
当初は現在と違って欲をかいても会議室2部屋。
 羽村勤労福祉会館時代よりだんぜん広いスペースになりました。
 本当は2部屋目は隣の部屋に音がしない様にバッファとするためにお借りしたスペースでした。
当日はその部屋が物置代わりに・・・いざ初めて見ると、こちらの様子が気になるのかセンターの職員の方が代わる代わる見に来て頂き、ようやく認知頂けました。
未だこの当時は年1回の開催、やっと会らしくなって来た頃でした。

4.更に会場を広く
 こうして福祉センターさん側のご理解とご協力の元、運転会も回を重ねて来ました。
 運転会の開催も1回当たり2日間に増えました。
 そしてこの時、会として正式に発足することになりました。
 会場の予約の関係で正式に団体として登録しました。
 この時決まった会の名称。「武蔵野会」発起人の会長と副会長は幼い頃からの同級生。
 当時、良く遊んだのが市内にある武蔵野公園でした。
 そして、武蔵野線は様々な種類・形式の電車め機関車が走る路線です。
 この辺りから武蔵野会と名付けられたようです。

 メンバーも少しづつ増え、センター職員さんのご理解とご協力によって、騒音の問題は解決したものの、私達の欲望は留まる事知らず。
 更に1部屋お借りし、センターの会議室1列3部屋全てをお借りする事となりました。
 ところがある問題が。3部屋を全てを2日間借りるのは至難の技。
 なかなか空いている日がないのです。
 方法としては1年前に予約することしかありません。
 現在では、予約方法が変わった事もあり、更に難しくなりました。
 しかし、会長の献身的な努力によって、何とか確保し年2回の模型運転会を維持しています。


5.公開運転会
 毎回当会の鉄道模型運転会の時にはセンターの方も見に来て頂いています。
前述のようにお借り始めた頃は大変でしたが、その後は職員の方は見に来られる度に様々なアイデアを提供して頂きました。
 実は今では当たり前に一般のお客様が来場し「公開」で実施している運転会も、実はセンターの方からのアイデアでした。
 「これだけ素晴らしいものを、この人数しか見ないのはもったいない。もっと多くの人に見てもらった方が見に来た方も喜ぶはず・・・」という事で公開運転会がスタートしました。
 そして会として団体として活動内容も充実させざるを得ない状況でもあり、会の基本理念や活動方針も固まりました。
 公開にしてから珍しさもあり、来場者は急増。
 特にご家族でのご来場が多く、お子さん達の楽しそうな姿に会員のモチベーションもさることながら、模型の車輌も活き活きとして行きます。
 同時にメンバーも急増し今日に至っています。


6.責任ある団体へ
 こうして福祉会館の皆さんをはじめ、各方面で当会と関係された方々、来場されるお客様、地域皆さんの理解と協力の元、ここまで成長を遂げた当会。
 こんな活動が評価され、青梅市の社会教育団体(現:生涯学習団体)に認定されました。
 当時は、現在ほど市の財政は逼迫しておらず、市の施設を安くお借り出来ました。
 言い替えれば、貴重な税金を使うということになります。
 我々としては名前に冠が付きましたが、それ以上に団体としての責任は重くなりました。
 ただの趣味集団に留まらず、ここまで育ててもらった地域に対して、鉄道模型を通して、これからも貢献して行きます。
 物作りの楽しさ、鉄道模型の楽しさ素晴らしさを次の世代に伝えて行きたい。
西多摩武蔵野会の願いです。
 そして、この時期に会の名称が武蔵野会から西多摩武蔵野会になりました。
 実は地元には武蔵野会という病院があるため、混同されないように(先方に迷惑をかけないよう)会の名称を改称しました。
7.青梅宿アートフェスティバル参加
 当会が結成以来初めて外部から鉄道模型の出展を依頼されたイベント。
 青梅駅前最大のイベント、旧青梅街道を中心に繰り広げられるこの青梅宿アートフェスティバル。
 2004年11月青梅宿アートフェスティバルの中で、青梅線立川〜青梅間開業110周年を記念しての鉄道展を開催されることになり、当会の今迄の活動が評価されこのイベントに主催者側より鉄道模型の運転の出展を要請されました。
 初めて当会に出展要請があったのが2004年の夏でした。
 しかし、会長は申し入れに対しすぐにOKはしませんでした。
 主催者側に対して、近日中に開催する当会の夏の運転会を見て納得した上で判断して欲しい旨の回答を伝えました。
 そして夏の運転会。実行委員の方に当会運転会を見て頂き納得して頂いた上で、是非とも当会にということでしたので、当会として正式にお引き受けした経緯があります。
 我々にとっても今まで地元に理解と協力の元、育てて頂いた経緯もあり、地域に貢献できる最大のイベント。
 予想される多くの入場者数に非常に大きなプレッシャーの中での大舞台でした。
 私達としても、当会が主催でない依頼を受けての初のイベント。 
 準備と打ち合わせに相当な時間をかけた事は事実です。
 失敗は絶対に許されない。緊張感の中での事前打ち合わせから本番でした。
 1日に2,000人もの来場者がある中、全てが初めての経験でした。
 一人でも多くの方に喜んで頂け、鉄道模型の楽しみ素晴らしさが伝わったなら会としても幸いです。
 特に子供達の笑顔が見れる事はやって良かったと思います。
 初回が大変好評だったこともあり、翌年2005年も今度は青梅線111周年を記念しての鉄道展に出展。鉄道展も定着しつつありました。
 更に翌年2006年も要請があり、このイベントに出展しました。
 会を重ねる毎に内容も充実して行きました。
 初回から3年を経過し、会場が変更になる事もあり当会としては一定の成果があり、責任を果たしたと判断し、これを契機に本イベントからは卒業させて頂きました。
 このイベントへの参加と実績が自信へと繋がり、ここから先の外部依頼イベント繋がって行き、また新たな楽しさの発見もあり、一つの転換点・ステップになったと回想します


8.更に出展の依頼が…
 こうした当会の活動が評価を頂いたのか、その後も出展のご依頼を頂きました。
 詳細は公表出来ませんが、ある自治体からの要請でイベントに出展。
 また、ある企業様からも出展の依頼が数度に渡り頂戴し、こちらは先方の都合で実施出来ていませんが、当会としては引き受ける予定でおります。
 各方面から依頼を頂けるという事は、活動が評価されている証であり大変有り難く思っています
9.ワーナーマイカルシネマズ日の出(イオンモール日の出)様に出展
 2011年からはワーナーマイカルシネマズ様でお子様向けの鉄道映画「れっしゃ大行進シリーズ」がスタートし、この公開記念イベントの出展要請を頂きました。
 特にお子さん向けの映画ということもあって、当会としては今迄の経緯から何の迷いも無く承諾しました。
 イオンモール日の出さんの広いイベント広場やワーナーマイカルシネマズ日の出さんのエントランス内特設会場での開催は、前述の青梅宿アートファスティバルで養われた経験やノウハウがあり全く問題になりませんでした。
 我々の持っているノウハウを提供しながら先方との綿密な打ち合わせにより毎回大盛況により無事終了しています。
 毎回映画の方も観客動員数がワーナーマイカルシネマズ全店の中でも、この鉄道シリーズは常にトップクラス。
 全国で1位になったこともしばしば。この映画では全国的にも日の出店様は注目を浴びているとの事。
 そんなお話しを伺うと、当会としても大変充実感があります。

 今後もこのシリーズが続く限り、依頼がある限り当会としても協力させて頂く所存です。
10.結成20周年を迎えて
  〜1/1の夢列車(俺の列車、俺たちの列車)〜
 こうして多くの方々のご理解とご協力によって支えられ、駆け抜けて来た当会。
 2013年に結成20周年を迎えました。
 この結成20周年のテーマは『絆 未来へ』
 この記念行事として、富士急行株式会社様の全面協力により、同社1000形電車 旧京王5000系カラーを使用した団体専用列車を走らせる事となりました。
 1/150の世界から1/1の実物の世界へ飛び出しました。
 誰もが多かれ少なかれ持っている夢。
 自分の列車を走らせたい。
 そんな夢を叶える。参加した誰もがそう感じられる企画です。
 この20年の当会の活動も、会員各位が夢を持って、夢を追いかけて歩んできました。  
 そして、来場されるお客様。特に子供たちに夢を与えて来た当会のあゆみ。
 1/150も1/1のどちらの世界でも共通したキーワードは「夢」
 そんな70名の参加者一人一人の夢を乗せて、そして更なる結成30周年を目指して6月9日(日)大月駅を発車しました。
 この20年、今までも多くの方との出逢いがありました。
 このツアーで、そして今後の活動を通して、また新たな出逢いを楽しみに続いて行きます。
 地域、沿線ナンバー1の鉄道模型サークルを目指し活動して来ました。
 20年を経て、名実共に地域に浸透した鉄道模型趣味団体に育てて頂いたと思います。
 これからも会の基本理念、活動方針に従い鉄道模型を通した、地域貢献をして行く所存です。
 課題としては、若年者・後継者の育成・技術の伝承や会員増強、新たな施策の実施などありますが、これからも西多摩武蔵野会にご理解とご協力をお願い致します。

 
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